北島康介に取材してわかった、4つの金メダルを獲得できた理由

「オリンピックは『世界』が本気で勝負しにくる場所」

オリンピックについては「4年に一度というサイクルが、『特別な舞台』としての魅力を高めている気がします」と話す

21世紀に入ってから、大急ぎで日本競泳界に新たな歴史を紡いだのが北島康介だ。得意の平泳ぎで2000年のシドニー五輪から4度のオリンピックを経験。4つの金を含む計7つのメダルを獲得した。「友だちと一緒にいたかった」というなんとなしの理由で初めた水泳で、やがて世界を揺るがすことができたのはなぜなのか。北島に取材を重ねたスポーツライターが、当人の証言から読み解く。

文=細江克弥(Katsuya HOSOE)

オリンピックでは7つのメダルを獲得し名言も残す

言わずと知れた、競泳界のレジェンドである。

東京の下町、荒川区で精肉店を営む両親のもとに生まれた北島康介は、5歳の時、「仲のいい友だちと一緒にいたかった」といういかにも子どもらしい理由で近所のスイミングスクールに通い始めた。ところが、水のなかで繰り広げられる真剣勝負を繰り返すうちに天性の負けず嫌いに火がつき、やがてめきめきと頭角を現して日の丸を背負うようになる。

2000年、高校3年生で初めてオリンピックの舞台に立ち、以降、4度のオリンピック出場で手にしたメダルは計7つ。なかでも、2004年アテネ五輪と2008年北京五輪で成し遂げた100メートル及び200メートル平泳ぎの連覇は、史上初の偉業として世界に強烈なインパクトを与えた。また、400メートルのメドレーリレーにも同2大会連続で出場し、北京五輪では銅メダル、2012年ロンドン五輪では銀メダル獲得に大きく貢献している。2年に一度開催される世界選手権でも12個のメダルを獲得するなど、33歳で現役引退を表明するまで圧倒的な存在感で競泳界をリードし続けた。

もっとも、その華やかなキャリアは、手にしたメダルの色や数だけで語り尽くせない。

キャラクターを印象づける名言の数々は、あまりにも有名だ。2004年、自身初のメダル獲得となったアテネ五輪の100メートル平泳ぎでは、レース直後にマイクを向けられ「チョー気持ちいい」のひとこと。興奮を押し殺すように発したこの言葉は、2004年の新語・流行語年間大賞に選出された。また、4年後の北京五輪ではレース前に「世界記録を出して金メダルを獲得する」と宣言。果たして見事に有言実行を成し遂げた直後、プールから出た北島は「なんも言えねえ」とやはり印象的な言葉を残した。

「憧れや夢だけじゃ、パワーとしては足りない」

北島康介には、現役時代に一度、引退後に3度話を聞いた。

眼力が強く、独特の「言葉」を持っていることは一般的なイメージのままだろう。ただし面と向かって話してみると、彼自身が常人離れしたバイタリティーで一心不乱に突き進む天才肌ではなく、若い頃から自分を客観視し、「正しい努力」を見つけてトレーニングに落とし込めるクールな頭脳の持ち主であることがわかる。

とにかく大舞台に強かった。4年に一度のオリンピックでは、いつも決まって圧巻の強さを誇示した。なぜそれが可能だったのかを聞くと、彼はこう答えた。

「4年に一度というサイクルが、『特別な舞台』としての魅力を高めている気がします。あそこは『世界』が本気で勝負しにくる場所で、メダルは、4年間必死になってきた人たちが心から『ほしい』と思うもの。僕はそういうところに魅了されたし、4つも金メダルを獲らせてもらいましたけど、それでも『もう一度』と思えるほど興奮させてもらえる。だからこそ、トライし続けられた」

なぜ勝てたのか。単刀直入に聞くと、彼はこう答えた。

「子どもの頃にオリンピックで日本の選手が活躍するのを見て『自分もいつかああなりたい』と思いました。でも、そういう気持ちはある意味では現実離れしていて、やっぱり雲の上の世界のことなんです。憧れや夢だけじゃ、パワーとしては足りない。きちんと目標を持って、努力をして、一つずつクリアしていく。僕はそれができたから、あの頃に憧れた『雲の上の世界』にたどり着くことはできたのかもしれない」

「憧れ」や「夢」を、「目標」に変えて努力する──。そこに北島康介の強さがあった。

「ダメかもしれないなんて、これっぽっちも思わなかった」

2000年シドニー五輪に出場した女子競泳元日本代表の萩原智子さんは、2つ年下の後輩についてこんなエピソードを話してくれた。

「北島くんも私も、2000年のシドニーオリンピックは4位だったんです。あの時、たまたま同じバスに乗ったことがあって、『智子さん、まだ続けるでしょ?』と聞かれました。私は『ムリかも』なんて適当に答えることしかできなかったけれど、北島くんはこう言ったんです。『僕は2008年くらいまで続けて、絶対にメダルを獲るから』って。胸にぐっときました。まだ高校生だった彼が、4年後のアテネでもなく、8年後の北京を見据えているなんて信じられなかった。しかも本当に、そこから2大会連続で金メダルを獲るわけですから」

当時の心境について、北島が言う。

「初めて出たオリンピックは『夢を叶えた』という気持ちが強かった。でも『世界で勝負する』という気持ちと力を持って出場した大会ではなかったんです。そこで味わった悔しさがあったからこそ、オリンピックを『勝負する大会』と見ることができた。その時点で夢は終わり。次からは勝ちにいく。メダルを獲りにいく。夢と目標は違いますよ。僕の場合、シドニーオリンピックで夢から目標に変わったからこそ、がんばり続けることができた」

オリンピックのメダルが「非現実的な夢や憧れ」ではなく「実現可能で明確な目標」なら、自分自身の力を信じて努力し続けることができる。常に自分を客観視し、足りない力を見極められる。北島はこう振り返った。

「ダメかもしれないなんて、これっぽっちも思わなかった。今になって考えると、そういう精神力を持ち続けられたことがすごいなって素直に思えます」

最初に悔しさを味わい、メダルを獲りにいくと心を固めた。だからこそ、彼にとって金メダルは「なんも言えねえ」ほど「チョー気持ちいい」もの。4つの金メダルを獲得した勝者のメンタリティーは、クールな頭脳と努力のたまものだ。

もっと見る