日本国内ではまだ認知度の高いスポーツとは呼べないフィールド上でのホッケー競技。強化対策が進む女子と比べて、男子は世界ランクも低かったが、2018年アジア大会で金メダルを獲得するなど、ここ数年における代表チームのレベルアップ、各選手の活躍には、目を見張るものがある。世界での存在感も少しずつ増しており、2020年東京五輪の開催国枠も付与された。成長著しいホッケー男子日本代表への期待が高まっている。
躍動感あふれるスリリングな試合展開から目が離せない
ホッケーは縦91.4メートル、横55メートルのフィールド上で、ゴールキーパー1名を含む1チーム11名のチームが、各15分4クオーター(計60分)で対戦。スティックを使って、直径7.5cmの硬いボールを相手ゴールへ入れて得点を競うスポーツだ。
得点はシューティングサークルと呼ばれる、ゴール前の半円形のゾーンの中から打ったシュートのみが認められる。つまり、サークル内での攻防や、駆け引きが最大の見どころとなる。
攻撃は巧みなスティックさばきによるドリブルやパスワークを駆使して、ディフェンスをかき分けて、いかにサークル内にボールを持ち込んで、シュートが打てるか。一方、守備は選手同士の連携によって、いかにして攻撃を封じ込めて、失点を防ぐことができるか。そのせめぎ合いが勝敗の鍵を握っている。
攻守が瞬時に切り替わり、選手交代が何度でも自由に行えるため、交代のタイミングなども試合の流れを左右する大きなポイントとなる。この交代も含めたスピーディーかつ流動的な試合展開も魅力のひとつで、ゲームが一度始まると、ボールや選手の動きから目が離せない。
選手同士のコンタクト、展開の速さ、シュートボールの速さ、特にシューティングサークル付近での攻防の激しさは男子ホッケーならではのものだ。
50年間五輪から遠ざかった「サムライジャパン」
1908年ロンドン五輪で男子の正式種目となり、女子は1980年モスクワ五輪から実施された。ホッケー男子日本代表の愛称は「サムライジャパン」。ちなみに女子は「さくらジャパン」だ。
「サムライジャパン」は、かつて1932年のロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得している。これが2019年現在においても日本ホッケー競技で唯一のメダルだ。1968年メキシコ五輪13位を最後に、出場すらできていない。2019年1月の世界ランキングは18位。1位ベルギー、2位オーストラリア、3位オランダと続き、アジア勢ではインドが5位と頭一つ抜き出ている。その下にマレーシア(13位)、中国(14位)、韓国(17位)が続き、日本(18位)はその次だ。
ランキング上位を見れば、ヨーロッパ勢が強いことがわかるが、20位にまで視野を広げると、アジア勢がぐっと増える。つまり激戦区というわけだ。
2020年東京五輪に出場するチームは、男女ともに12チーム。日本は男女ともに開催枠国での出場が決まっている。残る11チームは、各大陸で開催される大会での優勝国5チームと、別に行う予選から6チームが選抜される。
ホッケー強豪校で育った3選手
2019年2月、日本ホッケー協会は「サムライジャパン」候補選手33人を発表。本番では、この中から選抜された16人でチームを構成する。今回は中でも注目の3選手を紹介しよう。
北里謙治(MF)
北里謙治は1989年5月19日生まれ。熊本県の出身で、地元のスポーツ少年団でホッケーに触れ、その才能が開花した。進学した小国中学、小国高校では全国大会で活躍し、強豪校として知られる山梨学院大学へ進学した。大学4年生のときに、関東春季リーグと秋季リーグで、大会MVPに選出された。
その後、ホッケーが盛んな埼玉県飯能市の職員となり、同市を拠点とするALDER飯能に所属して、ホッケーをプレーしている。ポジションはミッドフィールダー(MF)ながら、得点力にも優れており、公式戦でハットトリックを決めたこともある。日本代表の中心選手として活躍。2018年8月にジャカルタで開かれたアジア大会の全7試合にスタメン出場。日本代表としては大会初となる金メダル獲得に貢献した。
田中世蓮(MF)
田中世蓮は島根県の出身で、1992年11月9日生まれ。これまでオリンピアン4人を輩出している同県奥出雲町のスポーツ少年団で、ホッケーを始めて、地元の横田中学、横田高校を経て、関西の強豪校である立命館大学に進学。インカレで何度も優勝を経験している。
現在は「ぎふ瑞穂スポーツガーデン」職員で、HJLでは岐阜朝日クラブBLUE DEVILSに所属している。北里選手とともに2018年のアジア大会に出場し、MFとしてチーム優勝に貢献した。2019年2月に行われたホッケー日本リーグの年間表彰式で、2年連続の年間最優秀選手に選ばれている。
田中健太(FW)
田中健太は1988年5月4日に生まれた。滋賀県出身で、天理高校、立命館大学を経て、和歌山県庁の職員をしながら、箕島ホッケークラブで、FWとしてプレーしていた。ユース代表、ジュニア代表など世代別での代表を経験し、2008年には大学生ながら日本代表に選出されるなど、「サムライジャパン」の中心選手だ。
ホッケーは五輪開催国に出場枠が無条件で付与されるわけではない。しかし、日本は2020年東京五輪への出場枠を獲得することができた。田中はそれを機に和歌山県庁を辞めて、オランダ1部リーグHGCに入団することを決めた。契約期間は2年だ。
オランダのホッケーは世界最高レベル。スター選手たちに囲まれ、毎日練習し、試合を重ねることで田中は大いに成長する。「オランダでは練習中、いいプレーをすると声をかけてくる。そんな当たり前なことができないぐらい(日本代表の練習の雰囲気が)マンネリ化していた」と気付いた田中は、2018年アジア大会では、チームの盛り上げ役に徹した。こうしたことが日本代表の金メダルにつながっている。
自力で掴んだ東京五輪の切符、そして日本ホッケーの未来へ
今回、日本代表が東京五輪の開催国枠を得られたことについて、日本ホッケー協会は、2004年のアテネ五輪でギリシャ男女が出場できなかったケースや、2016年リオデジャネイロ五輪でブラジル女子代表が出場できなかったことなどを引き合いに、「国際ホッケー連盟が現在の日本ホッケーの実力を(開催国枠に相応しいか)正しく評価した結果」と分析している。
確かに、国内外で代表の強化合宿を実施して、トレーニングに励んできた結果は、ここ数年の国際大会の成績に表れている。2018年8月のアジア大会で、男女ともに優勝を果たしたが、日本男子のメダル獲得は1970年のバンコク大会の銅メダル以来で、約半世紀ぶりの快挙となった。アジア大会での金メダル獲得も史上初だ。残り1年、さらにレベルアップを果たして、開催国枠での出場という好機を最大限活かさねばならない。
これまで男女含めてホッケーはあまりメジャーではなく、メディアが大きく取り上げるような有名選手もいなかった。また、世界との実力差も大きかった。しかし、ここ数年、将来性のある選手が、着実に育ってきている。せっかく手に入れた東京五輪の切符をしっかりと生かせるのか。日本ホッケー界の未来への試金石となりそうだ。