マウンテンバイク注目選手:日本のライダーが挑む東京五輪、初のメダル獲得の裏にある師弟、親娘の物語

日本選手権を10度制している山本幸平

1996年のアトランタ五輪から加わったマウンテンバイクのクロスカントリー。1周4km〜6kmの過酷な山道を走るこの競技は、体力と技術力で、いかにコースを征服するかが、勝負の分かれ目となる。

東京五輪のマウンテンバイクコースの舞台は静岡県伊豆市。日本サイクルスポーツセンター内にある「伊豆マウンテンバイクコース」に決定している。起伏に富んだ山岳コースには急な坂や、人がひとりしか通れないような「シングルトラック」と呼ばれるエリアが組み合わさっており、選手はコースの特徴を把握しながら、得意な“走り”を工夫し、レースに挑む。まさにパワーと忍耐、そしてマウンテンバイクに求められる総合力が試される。

ライダーが挑む伊豆の自転車王国

競輪(ケイリン)発祥国でもある日本。これまで自転車トラック種目では、いくつかのメダルを獲得しているものの、マウンテンバイクのクロスカントリー種目ではメダル獲得がない。しかし、東京五輪でのメダルに静かなる闘志を燃やしている選手は少なくない。その中には師弟・親娘でメダルを狙うライダーがいる。

まずはW杯でのトップ10入りを――山本幸平

2018年度の全日本選手権クロスカントリーで、10回制覇の偉業を成し遂げた山本幸平。クロスカントリー男子エリート部門の強化指定選手でもある。

1985年8月20日生まれの山本は兄の知り合いに憧れて、兄とともにマウンテンバイク競技をスタートした。小学4年生で初レースを経験、小・中学校時代は、出身地の北海道内のレースを転戦。高校3年生のときに、初めて国際レース経験、世界選手権大会でジュニアクラス日本代表になった。

山本はマウンテンバイクに人生を捧げることを決め、高校卒業後は国際自然環境アウトドア専門学校に進学。専門学校を卒業するとプロのマウンテンバイクライダーとなった。2008年北京五輪は3週遅れで打ち切り46位、2012年ロンドン五輪は27位で終えている。2016年リオデジャネイロ五輪では、日本人最高となる21位でゴールした。

2017年に結婚し、翌年には娘が生まれたことで、山本の生活環境は大きく変わった。元トライアスリートという妻のおかげで、食事面のサポートは万全。生活環境が大きく変わったことで、練習と私生活の切り替えがうまくいくようになり、レースへの心構えにも良い変化があったそうだ。以前からワールドカップトップ10入り目指してきた山本、今は東京五輪に向け、ペダルを踏み込んでいる。

山本の後継者となるか、次世代エース――北林力

山本は2018年3月、アメリカの自転車メーカーの日本法人「キャノンデール・ジャパン」とともにドリームシーカーレーシングチームを立ち上げた。「日本人だけのチームで国際大会勝利」「世界に通用する選手を育てる」「2020年東京オリンピックで優勝する」「世界標準の競技土壌を作る」の4つの目標を提げたこのチームのメンバーのひとりが、山本の後継者とも言われる北林力だ。現在18歳の彼は、クロスカントリー男子U23部門の強化指定選手。強力な先輩である山本お墨付きの次世代エースだ。

北林はマウンテンバイクだけでなく、アルペンスキーにも精力的に取り組んできた。1999年11月26日生まれで、長野県出身の彼は、スキーヤーの母と、自転車乗りのニュージーランド人の父の影響から、スキーとマウンテンバイクの両方の世界で生きてきた。アルペンスキーでも、2015年全国中学校アルペンスキー大会男子大回転で優勝するなど、好成績を残している。

夏はライダー、冬はスキーヤーという二刀流の北林。しかし、全日本選手権クロスカントリー4連覇(ユース・ジュニア)を機に、マウンテンバンクに専念することを決意した。山本との出会いもライダー専念へのひとつの大きなきっかけだったという。

ドリームシーカーレーシングチームとして山本とともに挑んだ2018年4月7日のUSCUP 第1戦。すべてが初体験だった北林の結果は、メカニックトラブルでリアイアだった。1週間後の同大会第2戦では、粘りの走りを見せ、巻き返したものの52位に終わった。苦い結果を糧に2020年東京五輪を目指している。

“ママさんライダー”のレジェンド――小林加奈子

なんと日本には、アラフィフの現役女性ライダーがいる。1996年開催のアトランタ五輪代表で女子マウンテンバイク界の先駆者であり、今日まで絶対的な強さを維持しているのが小林加奈子だ。

1970年5月24日生まれの小林は、19歳のときにマウンテンバイクの魅力に目覚めた。大学卒業後、一旦就職をするも、プロのライダーを目指すと決心。「五輪選手を目指す」と言って退職届を提出し、長野県松本市に単身移り住んだ。マウンテンバイクの技術を磨き、1994年に開催された全日本マウンテンバイク選手権のクロスカントリーとダウンヒルの2種目で優勝。さらに、1996年アトランタ五輪代表として出場、23位になる。同年のアジア選手権では優勝、翌年のワールドカップ第2戦目のクロスカントリーで日本人最上位となるトップ10入りを果たした。

アトランタ五輪を経験後、彼女は一旦ライダーとしての活動を休止。結婚、出産、育児を経験する。しかし、そのころから、人生の目標として、「親娘三代でマウンテンバイクに乗ること」を徐々に見据え始めていたという。

目標実現のために取り組み始めた「子どもたちが自転車で遊べる機会作り」は、やがて彼女が主催する「MTBクラブ安曇野」となり、大きな広がりをみせる。そこで出会った子どもたちに背中を押されたことがひとつのきっかけとなり、再びレースに挑戦することを決意。2016年、マウンテンバイク界の女王はついに凱旋した。2017年全日本選手権クロスカントリーで18年ぶり3度目となる日本一に返り咲いたのである。

ライバルは母。才能が開花する娘――小林あか里

レジェンド小林加奈子が現役復帰を果たした2016年。小林の長女である小林あか里が、全日本選手権クロスカントリーユース部門で優勝した。

松本蟻ケ崎高校に通う現役高校生の小林あか里は、2017年全日本選手権のユース部門でも優勝し連覇を果たす。2018年5月にフィリピンで行われたクロスカントリーアジアジュニア選手権は3位入賞。さらに、2018年7月の全日本選手権ジュニア部門でも優勝を果たしている。

「母はライバル」と言い切る若きライダーあか里。レジェンド小林加奈子の才能は、言うまでもなく、娘へと受け継がれているに違いない。

親娘で目指す、東京五輪の舞台

東京五輪自転車競技の会場となる静岡県伊豆市は、小林親娘が小さい頃から練習していた場所だそうだ。思い入れが強い舞台でメダルを狙いたいという我が子を、母は支えることを決意した。母は2018年全日本選手権クロスカントリーエリート部門で、惜しくも2位に終わり、今年7月に行われる全日本選手権で優勝奪回を狙っている。

母の可奈子はエリート部門、娘のあか里はジュニア部門の強化指定選手。娘の夢、母の夢は果たして東京五輪の舞台で実現できるだろうか。ライダー親娘の物語はまだ途中だ。

東京五輪のマウンテンバイクの選考対象期間は、2019年5月下旬からの1年間だ。これから始まる熱戦に向けて、各選手は着々と準備を進めている。己の技を磨き、メンタルやパワーを鍛える。日本のライダーたちの戦いは、これからが本番だ。

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