ソフトボールが正式種目に。日本はメダルを目指すも4位【1996年アトランタオリンピック】

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1996年の初五輪で日本代表の主将を務めた安藤美佐子

ソフトボールは、1996年のアトランタ大会で初めてオリンピックの正式種目に採用された。日本はメダルを目指して戦うが、主砲・宇津木麗華が出場できず苦戦を強いられる。予選リーグでは3強の一角・中国を倒すものの、最終順位は4位。メダルにはあと一歩、届かなかった。

ソフトボールの本場アメリカが圧勝した最初のオリンピック

アトランタ五輪で初めて正式種目となったソフトボール。アメリカで人気が高い野球(男子)とソフトボール(女子)がセットで採用された。

野球文化の根付く日本ではソフトボールも盛んで、1968年から女子の実業団リーグ戦も行われていた。過去には世界選手権(当時は4年に1度開催)で優勝1回、準優勝1回の実績をあげ、アトランタ五輪への期待値も高まっていた。

しかし、初めてのオリンピックを前に、その予選となる2年前の世界選手権で7位と振るわず、アジア・オセアニア地区最終予選に回ることに。同大会で、ニュージーランドを僅差で下して、苦労の末に初のオリンピック出場にたどり着いた。

当時はアメリカがアトランタ前の世界選手権で3連覇中。大学スポーツを中心に強化を図るアメリカでは、女子は特にソフトボールが人気競技で、体格に優れ、運動能力の高い逸材が数多く代表チームに召集されていた。

そして、投打にわたって世界一のパワーとスピードを誇り、圧倒的王者として君臨していたアメリカは、初のソフトボール金メダルを、地元の大声援の中で見事獲得した。

銀メダルは、世界屈指の左投手、王麗紅を擁する中国で、パワフルな右打者をそろえたオーストラリアが銅メダルだった。この順位は、アトランタ五輪の2年前の世界選手権と同じで、前評判通りの結果となった。

主砲・宇津木麗華を欠いた日本代表、無念の4位に

日本は4位で初のオリンピックを終えた。当時の監督は鈴村光利、コーチに長澤宏行、宇津木妙子。大学生の高山樹里が最年少メンバーとして、4人の投手陣の1人に抜擢され、次のシドニー五輪にも出場することになる、松本直美、斎藤春香、山路典子、安藤美佐子ら総勢15名の選手で代表チームは構成されていた。

ただ、そこに日本の主砲、宇津木麗華(任彦麗)の名はなかった。中国から日本に帰化し、日本の実業団での活躍が評価され代表に選ばれたものの、国籍を取得して3年に満たないことで、オリンピック出場が認められなかったのだ。

悔し涙を流して出場を断念した宇津木麗華のために、日本代表は一丸となり、世界選手権2位の中国との予選第1戦で、3-0の金星を挙げてみせた。しかし、その後のオーストラリア、アメリカに敗れ、予選を5勝2敗の同率4位。決勝トーナメントに進むも、オーストラリアとの3位決定戦に敗れ、メダルを逃したのだった。

【1996年・アトランタオリンピック・日本代表結果】

◆予選リーグ

○ 4-1 オランダ

○ 3-0 中国

● 1-6 アメリカ

○ 4-0 カナダ

● 0-10 オーストラリア

○ 8-1 プエルトリコ

○ 5-1 チャイニーズタイペイ

◆4位決定戦

● 0-3 オーストラリア

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