2018年のサッカーワールドカップ(以下W杯)ロシア大会で母国フランスを20年ぶりの優勝に導いたのがキリアン・ムバッペだ。当時19歳の新星ストライカーは、世界中から称賛を受けた。スポーツ一家で育った少年は幼いころから圧倒的な才能を見せつけ、順調にその実力を高めてきた。日本では「エムバペ」と呼ばれることもあるゴールハンターの進化はまだまだ止まりそうもない。
フランス代表がW杯を制覇した1998年に誕生
キリアン・ムバッペが誕生したのは1998年12月20日。自国開催となるW杯でフランス代表が優勝した約半年後だった。その20年後に、この赤ん坊がチームのエースとしてフランス代表に再びW杯のトロフィーをもたらすことになるとは、誰も想像しなかっただろう。
カメルーンとナイジェリアにルーツを持つ父、そしてアルジェリア人の血筋をひく母の間に生まれたキリアンは、フランスのパリ郊外にあるボンディという移民コミュニティで育った。同じくフランス代表として活躍するポール・ポグバ、エンゴロ・カンテなどもこのコミュニティの出身だ。移民居住区に対し、いまだに差別意識や偏見などを抱く者も少なくない。しかしキリアンは今、この地域のサッカー少年たちの希望であり、ヒーローとして慕われている。
父は地元のサッカークラブASボンディのコーチ、母は元ハンドボール選手というスポーツ一家で育ったこともあり、物心ついたころから自然と父のクラブでボールを蹴るようになった。4歳のころにはもうその才能は抜きん出ており、指導者たちはドリブルスピードや正確なボールタッチに目を奪われたという。
キリアン少年はどんどんサッカーにのめり込んでいく。コーチである父も驚くほどだった。父はかつてある取材で「あいつは24時間サッカーのことを考えていたよ。自分がボールを蹴るのはもちろん、家にいる間はずっと世界中のサッカーの試合を観ていた」と話したことがある。
天才少年にはレアル・マドリードやバイエルンも注目
周囲はキリアンが8歳くらいの時に「いずれプロになる」と確信。12歳になると、かつてティエリ・アンリやニコラ・アネルカ、ブレーズ・マテュイディなど名選手が輩出した育成の名門クレールフォンテーヌ国立サッカー養成所に合格する。当時から天才少年の争奪戦が繰り広げられており、レアル・マドリードやバイエルン、マンチェスター・シティやチェルシーなど多くの強豪が獲得に興味を示していた。しかし最終的には地元モナコのユースチームへの入団を決断する。2015年12月に16歳と347日でプロデビューを果たし、翌年2月には17歳と26日でクラブ最年少得点記録を更新してみせた。
2016−17シーズンに入ると、その勢いはさらに増した。公式戦44試合に出場すると26ゴール14アシストでチームに貢献。モナコの17年ぶりのリーグ制覇の立役者となった。2017年8月に強豪パリ・サンジェルマンに加入すると、さらに能力を伸ばし、ネイマール、エディンソン・カバーニとともに圧倒的なアタッカー陣として恐れられている。
19歳で出場した2018年のロシアW杯では、4−2で勝利したクロアチアとの決勝戦のゴールを含め通算4得点をマークしている。10代の選手がW杯の決勝戦で得点したのはペレ以来史上2人目、実に60年ぶりの快挙だった。同大会の最優秀若手選手賞を受賞し、以降、文字どおり新生フランス代表をけん引する存在となった。
21歳で迎える2020年の東京五輪に向けても「金メダルを獲得したい」と意欲を燃やす。幼いころから将来を嘱望され、駆け足で成功の階段を登ってきたゴールハンターは、さらなる栄光を見据えている。