オリンピック選手村では結婚式が行われたことも。大会後の再利用法も重要

東京五輪の選手村跡地では水素をエネルギーに使用予定

1
アスリートたちが心身を休める選手村には、病院や郵便局、銀行や美容院といった設備もそろう

オリンピックという大舞台に欠かすことのできない選手村は、アスリートが心と体を休める場所だ。国籍も人種も異なる選手たちが過ごす場所だからこそ、数多くの物語が生まれてきた。100年近くの歴史を誇る選手村にまつわる、興味深いエピソードをいくつか紹介する。

選手村はホスピタリティーから誕生

オリンピック開催期間中、アスリートをはじめ、コーチやトレーナーたちの宿舎となるのが選手村だ。初めて宿舎が用意されたのは、今から100年近く前の1924年パリ五輪のこと。それまで選手たちの宿泊先はホテルだったが、土地勘のない海外の選手が会場までの移動に不自由がないようにというホスピタリティーがきっかけとなった。パリではメーンスタジアムであるコロンブ競技場からほど近い場所に宿泊用のコテージが建てられ、これが選手村の始まりとなった。

その後、1932年のロサンゼルス五輪で「選手村」が正式に採用された。当時はまだ男子のみが利用できる施設であり、女子はホテルへの宿泊が一般的だった。女子が選手村に宿泊できるようになったのは、第二次世界大戦間もない1948年のロンドン五輪からだ。

当初は競技場の近くに宿泊することを目的としていた選手村だったが、今やその役割は大きな変化を遂げている。単に寝泊まりするだけの宿舎ではなく、心身のコンディションを整えるための設備がそろい、オリンピックに臨むアスリートたちには欠かせない重要な施設となった。敷地内には24時間開かれたトレーニング場や食堂をはじめ、病院や郵便局、銀行や美容院、さらにはカラオケやネットカフェといった娯楽施設までもが併設。その規模は「村」というより、一つの街と言っても過言ではない。

テロの惨劇がもたらした教訓

長い歴史を持つオリンピックにおいては、選手村で悲惨な事件も発生している。1972年のミュンヘン五輪で起こった出来事は負の歴史と言っていい。

事件はオリンピック期間中、1972年9月5日の早朝に起こった。パレスチナの武装勢力「黒い九月」が選手村のイスラエル人を襲撃し、イスラエル人コーチと選手の2名を殺害。さらには9名を人質に取り選手村に立てこもった。この様子はオリンピックのために集まった各国のメディアが実況中継し、「ミュンヘン五輪事件」として多くの人が惨劇を目の当たりにすることになった。

この事件は文字どおりオリンピック史上最悪の結末を迎えることになる。最初に殺害された2名、人質9名、警察官1名、テロリスト5名の計17名が、この事件で命を落としている。

事件を通して露呈したのは、テロに対する危機感の低さだ。この惨劇を受け、その後のオリンピックでは警備体制を一層強化。競技場だけでなく選手村も同様であり、現在ではアクレディテーションカードと呼ばれる関係者証がなければ、役員であっても入場が規制されている。選手村で過ごすアスリートたちの安全が最大限守られるよう、厳重な警備体制が敷かれるようになった。

選手村での恋が結婚につながった例も

選手村でアスリートたちはつかの間の休息をとる。張り詰めた緊張から解放された競技者同士、恋に落ちる例は少なくないようだ。

1956年のメルボルン五輪では、同大会でハンマー投げの金メダリストに輝くハロルド・コノリー(アメリカ)と、女子円盤投げの金メダリストとなるオルガ・フィコトワ(チェコスロバキア)がお互いに引かれ合った。東西冷戦の最中にあって、民主主義体制下のアメリカ人と共産主義体制下のチェコスロバキア人の恋は禁断とも言えるもの。しかし、2人はチェコスロバキア大統領から結婚の許可を得ることに成功し、プラハで結婚式を挙げている。

1964年の東京五輪では、オリンピックの選手村史上初となる結婚式が行われている。

東京の選手村で結ばれたのは、ブルガリアの体操選手であるニコライ・プロダノフと、同じくブルガリアの陸上選手であるディアナだ。当初はオリンピック後に結婚式を執り行う予定だったが、東京五輪組織委員会らの計らいにより、開催期間中の選手村で行われることになった。急な出来事だったにもかかわらず、大会スタッフも快く依頼を引き受け、結婚式には見事なウエディングケーキが用意されるなど、2人を盛大に祝福した。2人は今も仲睦まじく、ブルガリアで暮らしている。

東京五輪の選手村は、ロンドン五輪が参考

近年のオリンピックでは、競技場だけでなく、選手村も開発に向けてコンセプトを設けるのが一般的だ。好例がロンドン五輪の中心地となったオリンピック・パークだろう。ロンドン東部の再開発を目的に設計されたオリンピック・パークは、もともとあった工場を他に移し、土壌の入れ替えや河川の改修、さらにはインフラの整備を実施することで、会場周辺だけでなく、地域全体をデザインした。選手村の宿泊施設も一般住居に転用することで、現在は公園と住宅が一つになった豊かな環境に姿を変えている。

2020年の東京五輪の選手村は、ロンドン五輪を参考に開発が進められている。選手村が設けられる東京都晴海地域周辺も再利用を前提としており、宿泊施設を分譲マンションにするだけでなく、新たに50階建てのタワーマンション2棟が建設され、合計5000戸以上の住居を供給するプランが検討されている。分譲住宅以外にも、サービスつき高齢者住宅や若者向けのシェアハウス、さらには学校の建設も予定されており、長期にわたって快適に暮らせる環境づくりが意識されている。現在の晴海地域は都心へのアクセスが決していいとは言えないが、それも2019年に開通予定のバス高速輸送システムで解消される見込みだ。

「エコ」をテーマにした街づくりが意識されている点も興味深い。分譲住宅には都市ガスから二酸化炭素を排出しない水素を生み出す家庭用燃料電池(エネファーム)が設置される。街には水素ステーションが建設され、環境に優しい水素をエネルギーとして供給する計画が立てられている。海に囲まれた緑豊かな環境と、自然に優しい暮らし。そんな未来の都市が東京五輪の選手村跡地に誕生する。

もっと見る