優しい顔立ちから「空手界の綾瀬はるか」と呼ばれることもある。一般的に「組手」の知名度が高い空手競技において、「形(かた)」で存在感を発揮しているのが清水希容(きよう)だ。2014年と2016年の世界空手道選手権大会、2018年のアジア競技大会で金メダルを獲得するなど世界の第一線を走る。ただし、東京五輪の出場をすでに内定させた空手家は、10代のころは「3位の壁」をなかなか超えられなかった。
美しく形(かた)を繰り出す女性たちに憧れ、空手を始める
1993年12月7日、大阪府で産声をあげた。 皇太子徳仁親王と小和田雅子さまの結婚の儀が行われた年の歳末に生まれた清水希容(きよう)は、やがて日本空手界を象徴する存在となっていく。
きっかけは兄の影響だ。一つ上の兄が小学1年生で空手を始めていた。自身が小学3年生になった時、軽い気持ちで兄について行った。そこで運命を決める光景に出合う。兄が通う糸東流(しとうりゅう)の空手道場では女性も多く汗を流していた。
空手は男性のものという勝手なイメージが覆された。美しく形(かた)を繰り出す女性たちがかっこいいと思った。小学3年生の少女は「私もやってみたい!」と両親に告げ、道場に通うことになったという。
空手には、二人で相対して行う「組手」と、仮想の相手に向かい、一連の決まった技を一人で演じる「形」がある。幼い空手家がすぐに夢中になったのは、女性の先輩たちがかっこよく見せていた「形」だ。清水はある取材で「小学生のころは形の練習が好きでした。形を覚えて、そのとおりにできるとうれしかった」と話している。
全国大会があることなど知らなかった。小学生時代は一度も大会に出たことがないという。それでも、見えない相手に対して空手の技を仕掛ける時間がとことん楽しかった。
負ければ高校を中退するくらいの覚悟を決めた
小学校を卒業して入学した真住中学校に、空手部はなかった。他の部活に入る選択肢は考えず、道場に通う日々を送った。中学生になって本気度がさらに増した。「時間があれば空手に打ち込みたかったので、ずっと空手づけでした」と明かしたことがある。
ただし、中学時代は「3位の壁」を一度も超えられていない。全国大会には出場するものの、毎回のように3位に甘んじた。初めて全国で3位になった時も、うれしさ以上に「同じ学年なのに、なぜみんなこんなにうまいのか」という衝撃と悔しさが強かったという。頂点に立てず、日本各地にライバルがいることを知ると、持ち前の負けん気を発揮し練習に熱が入った。
高校は東大阪大学敬愛高等学校に進学する。名門空手部で厳しい練習に取り組みながらも、高校2年次の全国高等学校総合体育大会、通称インターハイでは3位に終わった。しかも高校としては全国連覇を逃す憂き目にあった。
なぜ頂点に立てないのか──高校3年生の空手少女は心を固めた。「次のインターハイで勝てなかったら空手はやめる」と自分に重圧をかけ、負ければ高校を中退するくらいの覚悟を決めた。「高校時代は、すべてを空手のために捧げた時代でした」と振り返ったことがある。
高校3年生でついにインターハイ優勝を果たす。高校で空手はやめるつもりだったが、ようやく頂点に立った喜びは忘れられなかった。シニアの大会でも結果を残したいという思いが募り、高校卒業後は関西大学に進学する。2013年、大学2年次に史上最年少で初優勝を果たした全日本空手道選手権大会は現在までに7連覇を実現した。2019年1月には全日本空手道連盟が定める選考基準を満たし、東京五輪代表を内定させた。
2012年の世界選手権の「形」で優勝を果たし、現在は「KARATE 2020 アンバサダー」を務める宇佐美里香いわく「表現力に優れ、見る人を沸かせる」のが清水だ。高校3年次まで足踏みを続けた「形の名手」は、空手が初採用となる東京五輪での女王君臨を狙っている。
選手プロフィール
清水希容(しみず・きよう)
空手家 糸東流(しとうりゅう)
生年月日:1993年12月7日
出身地:大阪府吹田市
身長/体重:160センチ/55キロ
所属:ミキハウス スポーツクラブ
オリンピックの経験:なし
インスタグラム:清水希容(@kiyou_1)
フェイスブック:Kiyou Shimizu