ジョゼ・モウリーニョも認めた偉才は、12歳でサッカーを引退
12回の全仏オープン優勝を誇るラファエル・ナダルは、「クレーコートの絶対的覇者」と呼ばれる。1986年6月3日にスペインのマジョルカで裕福な家庭に生まれた彼がスポーツの才能を開花させた背景には、元サッカー選手と元テニス選手の2人の叔父の存在があった。
ラファエル・ナダルがテニスで大きな成功を収めている背景には、2人の叔父の存在がある。
ラファエルの母方の叔父、ミゲル・アンヘル・ナダルはサッカー元スペイン代表選手で、1991年から1999年に所属したバルセロナでは5度の国内リーグ優勝に加え、チャンピオンズリーグ制覇も経験するなど輝かしい成績を収めた。守備の要として、名門クラブの黄金期を支える叔父のミゲル。その影響もあって大のサッカーファンだったラファエルは、幼少期、元ブラジル代表FWロナウドに憧れ、ボールを蹴ることに夢中になった。
一方、父方の叔父であるトニー・ナダルは元テニス選手で、ナダルが3歳の時からコーチとしてテニスを教え込んだ。今でこそ左利きの名プレーヤーとなったラファエルだが、もともとは右利きで、私生活では右手を利き手として扱っている。
ラファエル少年は12歳ごろまでフォア、バックともにストロークは両手打ち、サーブは左右のどちらでも打つことがあり、テニスでの利き手が定まっていなかった。この時、トニーが「左利きのほうが有利になれる」と助言したことで、ラファエル・ナダルは左打ちを磨いていった。
2人の叔父のおかげで、ナダルはサッカーとテニスの2種目でスポーツの才能を開花させていった。
ラファエルの幼少期を知る著名な人物がいる。イングランドのクラブ、トッテナムで監督を務めるジョゼ・モウリーニョだ。バルセロナのスタッフを務めていた際にラファエルをよくみていたという。モウリーニョは、ラファエル・ナダルがサッカーの道を選んでいたとしても、「素晴らしいプレーヤーになったはず」との見解を示している。
サッカーかテニスか。選択を迫られたきっかけは、2つのスポーツに熱中するあまり、学業が疎かになってしまっていたことだった。保険会社を経営する父、セバスチャンはナダルの学校での成績がなかなか向上しないことに悩み、ナダルが12歳の時、勉強に割く時間を増やすため、どちらか一つの競技を選ぶよう促した。するとナダルは、迷わずテニスを選んだという。
一競技に専念したのは「学業のため」だったが、これがテニスで飛躍を遂げる機会にもなった。15歳でプロになると、16歳ではウィンブルドンのジュニア・トーナメントで準決勝まで勝ち進み、わずか17歳2カ月で世界ランキング50位に入ってみせた。
18歳の時には、アメリカとのデビスカップ決勝にも起用され、スペインの優勝に貢献。そして18歳10カ月でモンテカルロ・マスターズを制して世界ランクを10位に上げると、2005年に初出場した全仏オープンでは準決勝であのロジャー・フェデラーを下す。そしてアルゼンチンのマリアノ・プエルタとの決勝を制し、19歳2日の若さでグランドスラム初優勝を飾った。
叔父トニーとの二人三脚での歩みは2017シーズンまで続いた。トニーは技術的な面だけでなく、他者への敬意や謙虚さなど、ナダルが人間的成長を遂げるうえで欠かせない存在だった。彼の教えは、新たなコーチとともにテニス界の最前線で戦い続ける今も、ラファエル・ナダルの魅力の一つとなっている。