【アスリートの原点】カティンカ・ホッスー:競泳界の「鉄の女」は少女時代、祖父のもと1日20キロを泳ぐ猛練習で成長を果たす

「オリンピックのチャンピオンになるんだ」と言い続けた祖父

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
高校卒業後は南カリフォルニア大学に水泳留学を果たし、アメリカでさらに実力を伸ばした

2016年リオデジャネイロ五輪の競泳で圧倒的な存在感を見せつけたのがハンガリーのカティンカ・ホッスーだ。3つの金メダルに加え、銀メダルも1つ獲得した。4つの泳法で戦う個人メドレーが得意な万能型スイマーとして知られる。世界を代表する美女アスリートながら、その強さゆえに「Iron Lady(鉄の女)」と呼ばれるホッスーの原点は、祖父と過ごした10年間にあった。

15歳の若さで2004年のアテネ五輪に出場

1989年5月3日、ハンガリー南部、バラニャ県都のペーチという街で生まれた。水泳を始めたのは4歳のとき。最初の指導者は祖父だった。プールサイドにいるのは「大好きなおじいちゃん」ではなく、鬼コーチだった。喝を入れられながら1日20キロを泳ぐという大人顔負けの練習を続け、カティンカ・ホッスーはスイマーとしての力をつけていった。

13歳まで指導を続けてくれた祖父からの影響は大きい。カティンカが4歳のころから「オリンピックのチャンピオンになるんだ」と繰り返し、その気にさせてくれた。

カティンカは13歳のころから、世界的に有名な競泳指導者デイブ・ソロの教えを請う機会に恵まれた。もっとも、大きな変化は不要だった。祖父のおかげだ。カティンカはかつてある取材でこう話している。

「デイブはいつも私の祖父に感謝していた。技術的に手を加える部分はほとんどないって」

祖父に基礎をとことんたたき込まれ、アメリカ人コーチにさらなる手ほどきを受けたカティンカは、15歳の若さで2004年のアテネ五輪に出場する。200メートル自由形で上位進出は果たせなかったものの、同年12月、オーストリアで行われたヨーロッパ水泳短水路選手権で存在感を見せつける。15歳の少女は400メートル個人メドレーで銀メダルを獲得した。

4度目のオリンピックでついにメダルを獲得

その後も各大会で金メダルを首にかけ続けたカティンカだが、四年に一度の祭典では苦しんだ。2度目のオリンピックとなった北京五輪では12位と17位と低迷。3度目のロンドン五輪では400メートル個人メドレーで4位、200メートル個人メドレーで8位、200メートルバタフライでは9位と、無冠に終わった。引退を考えるほどショックな結果だった。

それでも現役続行の道を選ぶ。努力と決意が実を結んだのは2016年のリオデジャネイロ五輪だ。多種目に出場する世界屈指の万能型スイマーとして「Iron Lady(鉄の女)」という異名をとるカティンカは、同大会で4つのメダルを獲得。100メートル背泳ぎ、200メートル個人メドレー、400メートル個人メドレーで金メダル、200メートル背泳ぎで銀メダルを勝ち取った。十八番の400メートル個人メドレーでは世界記録を更新する圧巻の泳ぎを見せている。

4度目の挑戦でようやく手にしたオリンピックのメダルは、4歳の時から10年、祖父の熱血指導のもと、1日20キロを泳ぐという猛練習で培った基礎のおかげだ。大会直後、カティンカは自身のSNSに4つのメダルを首から下げた祖父との2ショット写真をアップし、「ようやくよ!!! おじいちゃんの首にメダルをかけられるなんて最高の気分!」という文章を添えた。

カティンカは2019年7月に行われた世界水泳選手権の200メートル個人メドレーで4連覇、400メートル個人メドレーで3連覇を達成してみせた。4歳のころから「オリンピックのチャンピオンになるんだ」と、頂点を意識させてくれた祖父の影響は計り知れない。「鉄の女」は東京五輪の金メダルをしっかりと視野にとらえている。

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