有森裕子:オリンピック2大会連続メダリスト|プロ引退前からスポーツを通した社会貢献に尽力【五輪の星たちのその後】

2007年の東京マラソンを最後にプロマラソンランナーを引退

文: オリンピックチャンネル編集部

マラソン選手として1992年のバルセロナ五輪で銀メダル、1996年のアトランタ五輪では銅メダルを首にかけた有森裕子は、日本体育大学卒業当時、全国的にはほぼ無名のランナーだった。プロマラソンランナーを引退する前にNPO法人と会社を立ち上げ、アスリートとしての経験と視点で人とつながる活動に邁進する元オリンピアンの歩みをたどる。

豊富な経験を生かして、東京五輪の招致大使も務めた

高校駅伝3年連続補欠から、小出監督のもとで開花

1988年、有森裕子はソウル五輪で刺激を受けた。女子マラソンで優勝したロザ・モタの走りを見て感動した。そして日記に「オリンピックに出られたら」と書いたという。もっとも、リクルート社のランニングクラブに在籍する自身の目標は、翌年の国民体育大会に出場することだった。

1996年12​月17日、岡山県岡山市に生まれた。小学校では陸上クラブに、中学校ではバスケットボール部に所属した。岡山市にある就実高等学校に進学後は陸上部に入部。全国都道府県対抗女子駅伝では3年連続で補欠に甘んじたが、その後、進学した日本体育大学でも陸上部で汗を流した。日本学生陸上競技対校選手権大会などの大舞台で結果は残せなかったものの、走り続けたい気持ちにふたをすることはできなかった。教職を目指していた有森は進路変更を決意し、リクルート社のランニングクラブで監督を務めていた小出義雄氏に手紙を送り続け、その熱意を認めてもらって入部にこぎ着けた。

全国的にほぼ無名のランナーが脚光を浴びたのは、1990年の大阪国際女子マラソンだ。2時間32分51秒という初マラソン日本最高記録で6位入賞を果たした。翌1991年の同大会では2時間28分01秒というタイムで当時の日本新記録を塗り替え、文字どおりトップランナーになった。

オリンピックには2度出場。1992年のバルセロナ五輪では2時間32分49秒で銀メダル。1996年のアトランタ五輪では2時間28分39秒で銅メダリストとなっている。バルセロナ五輪では直前にかかとを痛め、コンタクトレンズを一枚なくすアクシデントに見舞われながらのメダル獲得で、レース後には「初めて、自分で自分をほめたいと思います」と、苦しい状況で結果を出した自身をねぎらった。

オリンピックで2大会連続メダル獲得の偉業を成し遂げた後も成長を続け、1999年のボストンマラソンでは2時間26分39秒という自己ベストで3位入賞を果たした。それから8年も走り続け、2007年の東京マラソンを最後に、プロマラソンランナーを引退した。

2度目のオリンピックとなったアトランタ五輪では2時間28分39秒で銅メダルを獲得している(左端)

NPO法人と会社を立ち上げ社会貢献に従事

現役時代からスポーツを通したセカンドキャリアを見据えていた。アトランタ五輪の2年後の1998年にはNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」を設立し、代表理事に就任。「スポーツを通じて希望と勇気をわかちあうこと」を目標とした団体で、チャリティマラソンを開催したり、物資の援助を行ったりしている。国内での小学校体育科支援事業の実施、海外での日本語教育事業の展開など、手がける自立支援事業は幅広い。設立当時はまだスポーツによる社会貢献活動の例が少なかった1996年から数えて約25年、社会貢献の実績は着実に増えている。

また、2002年4月にはアスリートのマネジメント会社である「ライツ」を設立し、取締役に就任した。現在は社名を株式会社RIGHTS. に変更し、アスリートやスポーツ文化人の活動の支援を続けている。サッカー女子日本代表の元監督である佐々木則夫氏やソフトボール女子日本代表である宇津木妙子氏、元プロ野球選手の川相昌弘氏やプロテニスプレーヤーの穂積絵莉など、現役・元プロアマ選手など多数が所属する。

現在は特別顧問として関わり、マネジメント事業だけにとどまらず、イベントや講演会に人材を派遣するキャスティング事業、トップアスリートが指導を行うスクールやキャンプを運営するアカデミー事業などを展開している。

ハート・オブ・ゴールドと株式会社RIGHTS. に共通するのは、「スポーツを通した社会貢献」という一面だ。有森自身は現役引退後の活動に関して、本当に自分のやりたいことに向き合っていると語り、社会貢献やスポーツを軸にさまざまな人とつながることがライフワークになっていると話したことがある。そうした取り組みが評価され、2018年にはアスリートの社会貢献活動を促し、表彰するHEROs AWARDで受賞者となった。

2007年までプロランナー生活を続けた。2001年にはオーストラリアで行われたゴールドコーストマラソンで優勝を果たしている

国際オリンピック委員会の委員などを歴任

ライフワークを続けるなかでは、さまざまな立場からスポーツと社会と関わってきた。

国際オリンピック委員会(以下IOC)のスポーツと活動的社会委員会委員、知的障害のある人たちのスポーツを支える公益財団法人スペシャルオリンピックス日本の理事長、日本陸上競技連盟理事、国際陸上競技連盟(IAAF)の女性委員会委員、国連人口基金親善大使などを歴任。2010年6月には、IOCによる女性スポーツ賞を受賞している。日本人としては初めての表彰だった。2016年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の招致活動においては、招致大使を務めている。

現在はオリンピック2大会連続メダリスト、そしてIOCのスポーツと活動的社会委員会委員、日本陸上競技連盟理事、スペシャルオリンピックス日本理事長といった立場からオリンピックやスポーツに向き合う。2020年6月には実践女子大学で「オリンピックの楽しさ、素晴らしさを学生に伝える」というテーマのもと、オンライン授業を実施。2021年2月には兵庫県の高齢者大学、いなみ野学園で「よろこびを力に-有森流 苦境を乗り越える方法」という講演を行っている。有森がつながろうとする対象は幅広い。

東京五輪に関しては、自身の経験も踏まえて「スポーツは健全な社会の一部として存在していて、オリンピックはその一部です。ですから、オリンピックも、社会的な意義があることが大切」と、広い視野で語ったことがある。2021年2月には、日本オリンピック委員会の6月の役員改選に向け、役員候補者選考委員会の委員として名を連ねた。

「世の中にたった一人しかいない自分の生き方にこだわること」「二度とやってこない一瞬一瞬を精いっぱい生きること」を信条に掲げるオリンピアンは、これからも精力的にスポーツの発展と社会貢献に関わっていく。

プロフィール

  • 有森裕子(ありもり・ゆうこ)
  • 元マラソン選手/日本陸上競技連盟理事/スペシャルオリンピックス日本理事長
  • 生年月日:1996年12​月17日
  • 出身地:岡山県岡山市
  • 出身校:牧石小(岡山)→岡北中(岡山)→就実高(岡山)→日体大(東京)
  • オリンピックの経験:バルセロナ五輪 銀メダル、アトランタ五輪 銅メダル
  • 主な経歴:国際オリンピック委員会 スポーツと活動的社会委員会委員、日本陸上競技連盟理事、スペシャルオリンピックス日本理事長
  • ツイッター(Twitter): 有森裕子 (@animo33)
  • インスタグラム(Instagram):Yuko Arimori (@arimo33)

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