スキージャンプのレジェンド・葛西紀明と、彼が認める努力家・伊藤有希【師と弟子の五輪】

師弟関係でありライバルとして、ともにオリンピックへ
文: オリンピックチャンネル編集部

“師弟関係”という固い絆を持って、スキージャンプで世界と戦う2人がいる。過去8度の冬季五輪出場を誇り、“生ける伝説”と言われながら選手と指導者を兼任する葛西紀明(のりあき)。彼の指導を受けて2度オリンピックに出場した伊藤有希(ゆうき)。「2人でオリンピック」の夢を実現した師弟の歩みと、その先の目標とは。

葛西紀明(左)は1972年生まれ。伊藤有希(右)は1994年生まれ。ともに北海道下川町出身という共通点を持つ

名ジャンパーが輩出した北海道下川町出身

葛西紀明(のりあき)と伊藤有希(ゆうき)の師弟関係の始まりは、2012年9月、葛西が監督を務める土屋ホームスキー部に伊藤が入部したことがきっかけだった。

1972年生まれの葛西は、史上最多となる8回の冬季五輪出場を誇る男子スキージャンプのレジェンドだ。オリンピックでは団体戦を含め過去3個のメダルを獲得。2009年には土屋ホームスキー部の監督に就任し、選手兼監督という二足のわらじを履きながら、飽くなき向上心とジャンプへの愛で、競技生活を続けている。

一方、1994年生まれの伊藤は、両親ともに元スキー選手で、父の克彦氏はノルディック複合・ワールドカップに2度出場した実績を持つ。伊藤は4歳の時に父親がコーチを務める下川ジャンプ少年団でスキージャンプを始め、女子ジャンプが初めて採用された2014年のソチ五輪に19歳で出場した。

葛西と伊藤、2人の共通点は、ともに北海道下川町出身であることだ。小学生の頃から頭角を現していた伊藤が高校2年生になると、葛西は自ら電話をかけ、土屋ホームへの入社を勧めた。進路を考える高校3年次にも連絡したという。当時の土屋ホームには女子選手がいなかったが、葛西は伊藤の練習熱心な姿勢を買い、「男子と同じ練習ができる」と見込んだ。もし練習についていけなかった場合には、葛西が「一緒にできるメニューを作る」と提案し、川本謙総監督(当時)にも認めてもらい、伊藤を招き入れた。

北海道下川町は、他にも長野五輪団体金メダルメンバーの岡部孝信、4度オリンピックに出場している伊東大貴など多くの名ジャンパーが輩出している街だが、なかでも葛西に憧れの気持ちを強く抱いていた。

両手のひらを下に向けて開く伊藤の空中姿勢は、葛西の助言によって採り入れたものだ

師弟関係でありライバル、ともにソチ五輪に出場

伊藤は中学2年次に世界選手権に出場し、「スーパー中学生」として話題を集めたが、高校時代は2歳下の高梨沙羅の陰に隠れてしまうことも多かった。くすぶっていた伊藤の才能を磨いたのが、他ならぬ葛西だった。

葛西が現役ジャンパーであることから、2人は監督と選手という師弟関係でありながら、ライバルのように互いを刺激し、高め合った。葛西が熟練の技術を教え込むと、伊藤は懸命に食らいつく。両手のひらを下に向けて開く空中姿勢は、葛西の助言によって採り入れたものだ。

チームの監督の話を受けた際、葛西には当初は断る考えもあったという。だが、やってみると周囲に支えられていたことを実感し、後輩たちに自身の経験を教えたいという思いに至った。現役選手でもあり続ける葛西にとって、監督という立場がより自身を成長させてくれていると話したことがある。伊藤もそうした影響を与えてくれる後輩のひとりだ。

葛西が恒例の早朝ランニングに取り組む際には、伊藤のほうが早く起きてすでに走り終わっていることもあった。22歳の年の差を超え、「見習うことも多い」と葛西に言わしめるほど、伊藤は努力家だ。また、葛西の妻・怜奈さんの配慮もあり、伊藤は生活面も含めたサポートを受けた。入社後は朝食、夕食を葛西家で食べ、昼食も葛西の妻が弁当を作って持たせてくれ、葛西家で風呂に入り、車で自宅まで送ってもらう日々を過ごした。

葛西の指導を受け始めた最初の年である2013-14シーズン、伊藤は蔵王で行われたワールドカップで2位に入り、初めて表彰台に上った。そして迎えたソチ五輪、1本目は踏み切りのタイミングが合わずに97.5メートルで10位につけたが、2本目は全体2位の101.0メートルを記録。順位を上げ、7位入賞を果たした。

一方の葛西は、自身7度目のオリンピックとなるソチ五輪で日本選手団主将を務め、ラージヒル個人で139メートルの大ジャンプをマーク。2回目も133.5メートルを記録し、日本勢としては長野五輪以来16年ぶり、葛西個人としては1994年のリレハンメル五輪での団体銀メダル以来、2度目の銀メダルを獲得した。さらに葛西は清水礼留飛、竹内択、伊東大貴とともに出場した団体ラージヒルでも銅メダルを手にした。

2015年2月にはそろってスキージャンプ世界選手権・男女混合団体戦に出場。銅メダルを獲得した

特有の強風に泣いた平昌五輪、ともに北京を目指して

ソチ五輪の後、伊藤はさらなる高みを目指し、すぐさま4年後の平昌五輪へと気持ちを切り替えた。それは、ソチ五輪でメダルという結果を残した葛西も同じだった。

一つメダルを獲得すると、新たな欲が出てくる。次は金メダルを──。競技意欲の尽きないレジェンド葛西と、リベンジを誓う伊藤の二人三脚での歩みは続いた。「指導者と選手」でありながら、「選手と選手」の関係性でもあるから、一方方向では終わらない。2017年のNHK杯ジャンプ大会でアベック優勝を達成した際、葛西は「ビデオで有希のジャンプを見て、助けられた」と、伊藤の飛行フォームからヒントを得たことを明かしている。

しかし、平昌五輪は2人にとって苦い記憶となった。伊藤は9位で2大会連続入賞を逃し、葛西はノーマルヒルで21位、ラージヒルで33位と振るわず。ともに平昌特有の強風に苦しんだ。

平昌五輪後、葛西はすぐさま4年後の北京五輪を目指すことを表明した。日本スキージャンプ界に訪れている世代交代の荒波に揉まれながらも、実力で代表の座を死守しようともがいている。50歳まで飛ぶ、それが葛西の覚悟だ。その葛西を間近で見る伊藤もまた、同世代のライバル高梨に負けじと戦っている。次こそはともに笑顔で終われるように、2人は歩みを止めない。