ソフトボール界のレジェンドとして広く知られている上野由岐子。若くして日本を代表するピッチャーとなり、数々の栄光を勝ち取ってきた。特に北京2008での「上野の413球」、Tokyo2020における13年ごしの連覇は多くのファンの記憶に刻まれている。
1982年7月22日生まれ。福岡県福岡市出身。身長174cm、右投右打。現在はビックカメラ女子ソフトボール高崎に所属する。
ソフトボールに出会ったのは小学3年生の時。父親とのジョギング中に、クラスメートの誘いを受けたことがきっかけとなった。みるみるうちに頭角を現し、小学生の福岡県大会で優勝。中学では全国優勝を成し遂げた。恵まれた体格に加え、向上心の強い上野の成長曲線は同年代とは大きく異なっていたのだろう。中学時代にはワンサイドゲームとなることも少なくなかったという。
福岡大附属若葉高校(当時:九州女子高校)の2年次には、チーム最年少で世界ジュニア選手権に出場。優勝に貢献するとともに、ジュニア離れしたスピードから「オリエンタル・エクスプレス」との異名もつけられた。シドニー2000出場可能性もあったが、体育の授業中に、走り高跳びの着地に失敗して腰椎骨折の重症。オリンピックどころか、選手生命すら危ぶまれる大ケガを負った。無事、ケガからの復帰を果たすと、高校3年の国体で優勝。活躍の場を実業団に移すことになる。
2001年にビックカメラ女子ソフトボール高崎(当時:日立高崎ソフトボール部)に入団。初年度から日本女子ソフトボールリーグで10勝をマークし、防御率も0.79。新人賞を獲得する圧巻のルーキーイヤーを送るとともに、日本代表としての活動もスタートさせた。2年目には最高殊勲選手賞(MVP)を受賞。日本代表の一員として、世界選手権で銀メダル獲得に貢献しただけでなく、中国戦で完全試合も達成した。
満を持して迎えたアテネ2004だったが、初のオリンピックは悔しい大会となった。開幕戦で先発を任されたものの、コンディションの影響もあったか、オーストラリアに3失点を喫し逆転負け。中国戦ではオリンピック初となる完全試合を達成し、銅メダルがかかる一戦も完封勝利と徐々に調子を上げた。アメリカ合衆国との決勝を見据えての判断か、準決勝は上野の登板機会がないまま黒星。初のオリンピックは銅メダルで終わった。
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