バイオグラフィー

ジョン・ジョンの愛称で知られるジョン・フローレンスは、ハワイ出身のサーファーで、2021年に開催される東京2020にチームUSAの一員として出場する。

世界で最も有名なサーフブレイクのひとつであるパイプラインの向かい側で生まれたフローレンスにサーフィンを教えたのは、サーファーである母親のアレックスだった。彼女は、長男と2人の兄弟が歩けるようになると、すぐに海に連れて行った。

すると、あっという間に波に乗り、アマチュア大会から次々と賞を獲得。13歳の時には、史上最年少でトリプルクラウンに出場し、さらにステップアップした。

そして2011年、サーフィン界の最高峰であるワールド・サーフ・リーグ(WSL)のチャンピオンシップ・ツアー(CT)に出場し、大きな成功を収めた。2013年に世界選手権のタイトルにあと一歩のところまで迫ったフローレンスは、2016年についにその偉業を達成し、2017年には2年連続でタイトルを獲得した5人のうちの1人となった。

サーフィンシーンのビッグネーム(140万人のインスタグラムのフォロワーを参照)であるフローレンスにとって、東京までの道のりは、ボード上で支配する波と同じように、ぎくしゃくして予測不可能なものだった。

2018年、彼はバリで競技後のサーフィン中に前十字靭帯(ACL)を断裂。フローレンスは、2019年のシーズンに間に合うように膝のリハビリに時間を費やした。そしてCTで3位に入賞した後、2年連続で1位になるなど、目を見張るようなスタートを切ったフローレンスは、再びACLを断裂。2度目は、手術を必要とした。

他のサーファーたちが世界選手権のタイトルやオリンピック出場権をかけて競い合うのを見ていたフローレンスは、ツアーのことを考えない生活を送っていた。旅に出たり、ヨットに乗ったり、回復させるためにできることを続けた。シーズンが進むにつれ、怪我をする前のCT開始時に獲得していたポイントのおかげで、チームUSAのロスター入りの可能性が残っていることに気づくと、12月、再び戦いに挑んだ。

フローレンスの成長をオアフ島で見守ってきた同胞であり、サーフィン界のベテラン、ケリー・スレーターとの直接対決になると、復帰したフローレンスは東京行きの権利を獲得。

28歳のフローレンスは暫定的に出場権を得たものの、オリンピックデビューを目前にして再び膝の手術を余儀なくされた。彼がどれだけ回復したのか、そして大きな舞台で何ができるのか、世界中が彼に注目している。

ジョン・ジョン・フローレンス
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