芦田創は自身の障がいをハンディキャップと考えたことがない。5歳でがん性腫瘍と診断された右腕を自由に動かせないものの、大阪出身のパラリンピアンはパラ陸上日本代表の中心選手として東京2020への準備を進めている。
幼い頃からスポーツが大好きだった芦田は、中学校に入ると利き手ではない左手で卓球をプレー。高校入学後に陸上競技と出会い、400mの選手として才能を開花させた。大学でも陸上競技を続けると、2013年のIPC世界パラ陸上選手権で国際大会に初出場した。
しかし、その後に挫折が待っていた。芦田は2014年のアジアパラ競技大会出場を逃すと、しばらく自問自答の日々を過ごす。「2014年のアジアパラ競技大会に出場できなくなり、アスリートとしての自分の将来に不安を覚えた。パラアスリートの世界から離れることも考えた」。しかし、芦田は難しい時期を見事に切り抜けると、競技種目を得意の400mから跳躍系に変更した。
それ以降、芦田は国際大会で表彰台の常連となり、リオ2016パラリンピックの4x100mリレーT42-47 で銅メダルを獲得。2017年の世界パラ選手権では三段跳と4x100mリレーで、2018年のアジアパラ競技大会では走幅跳でそれぞれ銅メダルを獲得した。そして2018年末にはオーストラリアへ渡り、跳躍選手の育成に定評がある名コーチ、アレックス・スチュアートに教えを請うた。
芦田は走幅跳(7.15m)と三段跳(13.79m)の日本記録を持っている。地元開催のパラリンピックを目前に控えているだけに、今後は日本での注目度も飛躍的にアップするはずだ。
「どんな状況下でもトップアスリートは結果を残す」
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